コラム
これを機に、現在のしもさかべ幼稚園がどのような経緯を経てきたかを知っていただけたらと思います。
しもさかべ幼稚園の遠足
1952年(昭和27年)5月14日の毎日新聞と神戸新聞の記事が出てきました。
当時、遠足には保護者同行が当たり前の時代でしたが、しもさかべ幼稚園では開園当初から遠足は、園の先生やお手伝いの方のみで行くという方針だったそうです。その理由としては、「お父さんやお母さんが仕事を休まなくてもよいように、そしてお母さん同士の服装やお弁当などの競い合いにならないように。」という事でした。
初代園長の西田弘氏は、保護者の同行無しの遠足について、その賛否を問う投票を保護者に実施した結果、賛成78・反対26・どちらでも良い2となりました。園の先生だけでは足りない人手は、地域の婦人会の皆様が同行して下さり、市バスを貸し切って武庫川ー広田山に遠足に行ったとのことでした。これは当時としてはとても珍しい事だったようで、新聞記事になっていました。そして70年の時が経ちましたが今でも、遠足には保護者の同行は無しとなっています。
▲万博公園(現在)
4月の遠足の意味は、新しいクラスで、様々な体験・経験をすることで仲間意識を持てるようにお友達との交流を深めることにあります。
その中で、まだ慣れない子どもたちと園外に出て各学年の担当だけで行くことは難しく、より多くの先生の手があるほうが安全であると考えています。
そのため、他の学年の皆様には休園とさせていただいております。
お仕事をされている保護者の皆様にはご迷惑にならないようにホームクラス(預かり保育)を開設しておりますので、そちらにお預けいただきますようにお願いをしております。
おさなご楽団
▲クリスマスコンサート(現在)
現在のしもさかべ幼稚園は、毎年12月にクリスマスコンサートを開催しています。特に年長児は、クラッシックの名曲を素晴らしい演奏で聴かせてくれるのですが、子どもたちのオーケストラというのは、開園当初からあったものだそうです。
創設者の西田弘氏は子どもの頃から音楽が大好きでしたが、自分が音痴であることに悩んでいました。「しもさかべ幼稚園の子どもたちには、良い音楽教育を」と考え、宝塚音楽学校から3名の専門家を招いたのがしもさかべ幼稚園の音楽教育の始まりだったそうです。
最初は園児がそれぞれの家庭から、空き瓶や空き缶など音のするものを持ちより、簡単なリズム教育を行ったところ、3日目にはリズムを完全に覚えこみ、楽器を買ってほしいと先生におねだりする始末。そこで西田氏は大太鼓、小太鼓、カスタネット、タンバリン、トライアングル、シンバル、木琴、汽車笛、カッコウ笛など打楽器、管楽器を購入、さっそく全園児140名で楽団を編成したのだそうです。楽譜の読めない園児への音楽教育には先生もなかなか苦心されたようで、太鼓の絵や笛を押さえる指の絵などを黒板に書いて楽譜替わりとすると、園児の腕は瞬く間に上達。10日目には早くも「鳩ポッポ」や「白地に赤く」などの簡単な曲は完全に演奏できるようになったそうです。
これに喜んだ西田氏は、指揮者を園児のうちから5人を選び、名実ともに立派な幼稚園楽団を育てようと本格的な練習を始めました。すると園児の進歩は目覚ましく、小学唱歌はほとんど演奏出来るようになっていきました。そのことを知った当時の尼崎市長阪本勝氏は、この可愛い楽団の誕生を祝って「おさなご楽団」と命名してくださったそうです。
今は「おさなご楽団」という名称は使っていませんが、本物の音楽に触れて、皆で心をひとつに合わせてオーケストラのように演奏することで、子どもたちの豊かな情緒を育み、「やればできる!」という達成感や満足感を味わう。 これはしもさかべ幼稚園の大切な教育のひとつとなっています。
プール
しもさかべ幼稚園には、開園当初から噴水プールがありました。
直径8メートルで深さ70センチの円形で、中央に噴水があって水が出てくる仕組みだったようです。
今の温水プールは昭和62年に完成しましたが、開園当初の昭和27年にそのような噴水プールがあるのは随分と画期的だったようで、プール開きの様子が新聞記事になっていました。
昭和27年7月1日『プール開き』では、保護者や当時の尼崎市長阪本勝氏や高寺市議会議長などをお招きし、全園児の「おさなご楽団」の演奏があり、喝采を得たそうです。
当時の子どもたちが、噴水プールを楽しむ様子が新聞には書かれていました。
開園当初から、体操や水泳によって体を動かすことをとても重要と考えていた事が、資料によって再確認出来ました。
園歌
いこたの森へ飛んでゆく
鳥がみんなを呼んでます
みなさん仲良く遊びましょ
リズム揃えて歌いましょ
私の楽しい幼稚園
良い幼稚園しもさかべ
お日様ニコニコ微笑んで
お庭いっぱい花が咲く
プールにお船も浮いてます
父さん母さん見て頂戴
僕や私の幼稚園
良い幼稚園しもさかべ
しもさかべ幼稚園の園歌の歌詞は、当時の尼崎市長でのちに兵庫県知事になられた阪本勝氏の作詞で、作曲は多くの校歌などを作曲されている森安優氏のものです。
伊居太の杜とは、幼稚園のある下坂部地域の氏神様の伊居太神社のことで、現在の宮司さんも幼稚園の卒園生。そして幼稚園での七五三詣りもお願いしているご縁の深い神社です。そこに鳥が飛んでいく情景から始まり、開園当初の幼稚園を良くご存知だった市長らしく、子どもたちのかわいい姿を歌詞にしてくださいました。
シンプルな歌詞で分かりやすく、とても可愛らしい〈しもさかべ幼稚園園歌〉これからもずっと歌い継がれていくことでしょう。
お馬さん
▲ぷりんちゃんと理事長先生馬車
創立者西田弘氏は、幼稚園の“子どもたちの送迎を馬車でしたい!”という夢があったそうです。これは当時流行っていた『ロバのパン屋さん』から発想を得たようです。ロバのパン屋さんは大人気で、子どもたちはロバのパン屋さんを見ると駆け寄って来たそうです。
“子どもたちが毎日ワクワクして通える幼稚園”を目ざしていたのかもしれませんね。
その夢を知って、現理事長も“幼稚園で馬を飼いたい”と思うようになりました。
平成9年、偶然にテレビを見ているとミニチュアホースという小型の馬がいるという事を知り、早速牧場に連絡をしてぷりんちゃんを幼稚園に迎えることになりました。
あれから25年余り、ぷりんちゃんもおばあちゃんになりましたが、変わらずリンゴが大好きで、子どもたちを優しく見守っています。いつまでも元気でいてくれますように!
創設者について
西田弘氏は、大正3年7月19日 尼崎市生まれ
日本大学歯学部卒業 西田歯科医院開業 院長となる
尼崎市市議会議員在職期間
昭和22年4月30日~昭和41年11月16日
【正副議長歴】
昭和34年5月18日 議長就任
昭和35年5月18日 議長就任
昭和36年5月19日 議長就任
【常任委員歴】
昭和24年11月5日 文教委員長就任
昭和25年7月10日 衛生委員就任
昭和26年5月17日 衛生委員長就任
昭和33年5月31日 文教委員長就任
昭和41年11月16日 任期中に死去
昭和41年11月16日 勲五等 瑞宝章 正六位 叙勲
日本大学在学中は相撲部に在籍していたスポーツマンでした。子ども大好き、常に弱い者のみかた、障がい者の為に尽くした、新しいもの大好き、音楽が大好き、宝塚歌劇も大好きだったそうです。
※白黒写真で残っていたものを、今の技術でカラーにしてみました。
カラーにするとより身近に優しい人柄が感じられますね。
卒園生の先生たち
しもさかべ幼稚園には、卒園生の先生が沢山います。園長先生をはじめ計7名!!
ご本人たちの許可を得て、卒園アルバムのお写真も掲載してみました。さぁて、誰が誰かわかりますか?
(現在産休などでお休みの先生は残念ながらお写真にはいらっしゃいません)
▲左から、内田先生・岡村先生・園長先生・二渡加津子先生・小林先生